志摩スペイン村の前を通りすぎ、パールロードはもう良かろうと思った俺はそこでロードを出ることにした。早朝だったこともあり料金は払わず済んだ。
　出たところに商店があり、とりあえずそこでエロ雑誌「チェリーピンク」と１リットルパックのコーヒー牛乳を買った。少し飲んで前カゴに入れた。走っていると、こぼれて困った。

　ぐにゃりと突き出した半島にある大王崎（灯台）や御座白浜など、ここらには確か伊勢中山鳥居があるはずだったんだけど、往復で同じ道になるのはいやなので行かなかった。というか当時はそこに伊勢中山鳥居があるなんて知らなかったんだけど（知らないことを書くなよ）。

　９時を過ぎても、山道をふらふらと走っていたら雨が降ってきた。雨宿りができそうなところは全く無いうえ、土砂降りになりそうな勢いだったので急いで走った。
　しかしいい場所が見つからないまま土砂降りになってしまう。道路に張り出した木の下にやどってみたりしたが、すぐに雨漏りはひどくなり、しかたねえやとまた走る。
　ようやく人家も見えてきて、くたびれた物置の小さな庇の下で雨宿りをする。
　雨が止む気配はいっさい無い。どんどん強くなってくるようだ。バケツか何かをひっくり返したような、とはこのことだなと思った。
　この物置に入れれば良いのだが、と戸を見るが、ガラスの格子の扉は内側から紐で結わえてあり、入れそうになかった。
　しかしなんともできない。身動きがとれない。たいした庇ではないので、立っていても濡れる一方だ。
　よく見ると、ガラスが外れている部分があった。もしかしてここから入れるんじゃないか、と思った俺は頭から体を滑り込ませ、侵入に成功した。俺、痩せてて良かった、と思った。

　結わえてある紐を解いて扉を開け、中に荷物を入れる。材木に腰掛ける。
　外を見る。雨は止みそうにない。このままここで夜を明かすのかもしれない。泊まらなくとも、長丁場になる事が予想された。

　そこで、ロープを張って、濡れたシャツや海で泳いだ水着やバスタオルなどを干すことにした。（つまりそこまでのバイトの荷物も全部持っていたわけである。なんでだ）
　初日に何のために買ったのか、自分でもわからなかったロープを役立てる事ができて非常に満足。でもバスタオルや水着は邪魔な荷物。

　ロープが使えた事には満足だったが、自分の荷物を見ると、どうにも朝まで過ごせそうにない。口に入るものといえば、朝買ったコーヒーだけで、あとはエロ本。なんで食い物を買わなかったんだろう。

　前に進む事のできない、ちょっとした挫折感がきっかけで、前夜に苦しめられた「さびしさ」がまた俺を襲う。これは物理的に癒せるものではないので困った。

　１１時になっても雨は止まない。すこし小降りになったときに荷物をまとめて外に出たら、また大降りになってきたので、また戻った。

　ＮＨＫラジオからは俺が小学生の頃によく聞いた「みんなのうた」から数曲が流れていた。「トレロカモミロ」とか「赤鬼と青鬼のタンゴ」とかさ。とてもなつかしい気分になり、人恋しい気分が安らぐかと思ったが、そううまくはいかないのが人間。その時書いたメモを引用するのもアレだが、ちょっとだけしてみよう。

＜うああ､人戀しいよう､いかんいかんしゃれにならんのじゃなかろうか。書かづにはいられない。なにか書かないとこのさびしさをおさえられない。もちろんこんな事でおさえられるわけもない。電話番号きいときゃよかった。くそう、うわあ、やばい、發狂したらどうしよう。＞

　自分でいうのもアレだが、ひどいなこれは。いまはなんとなれば携帯電話なんて便利なものがあるわけだが、当時はまだそれほど普及してなかったんすよ。

　エロ本を読んで人恋しさを紛らわそうとするが、そんなもので癒えるものではないことはすぐに分かった。腹が満たされればちょっとはマシになったのかもしれないがな。

　地図によれば三重県度会郡南島町、のあたり。

　しかしようやく雨は止んで、俺は１２時ごろに動き始めた。雨が止んだら異常な人恋しさはおさまった。というか走っているときは寂しさを感じなかったので、やっぱり人間より自転車が好きなんだな俺。

　山道が始まった。乾ききらなかった俺の体が、自転車を押しているとすぐに乾いた。ずっと押した。

　１４時４０分をすぎて、河村瑞賢公園で休憩をする。河村の像があった。
　パンを食べた。と記録にあるので、途中どこかでパンを買ったのだろう。

　そこからもＲ２６０をひたすら。
　海沿いに走るヘータンな道は、リアス式海岸であるこのあたりには存在せず、えんえん山の中。汗は吹き出る。ハンドルやデイパックの肩部分に塩が溜まる。国道とはいえ自販機がなく、飲料の予備を持っていなかった俺はコーヒーが数口ぶんしか残っていず、気軽に水分補給をするわけにもいかず、非常に苦しんだ（俺が悪いんだけど）。

　こういうときは「自転車を押す人」になるに限る。俺はそういう人なんだから、と開き直るというか。
　しかしそう簡単に開き直れるものでもなく、ぐねぐねとうねる道、先を見上げればとんでもなく上のほうまで道がつながっている。さすがにあんなところまでは行かないだろうと思っていると自分の横を通りすぎた車がそこを走るのが見える。ああ、やっぱ俺もあすこまで行くのか、と気が滅入る。

　ちなみに、完全な「自転車を押す人」になれたのは、それから５０００キロほど費やしてからだ。

　２時間ぐらい山を押しても、下りは１０分ぐらいのものだ。
　のぼりで熱くなった、汗びっしょりの体が一気に冷える。筋肉が収縮する。だから下りも軽く足を動かしながらじゃないと、まずい。かるーくペダルを逆回転させながらびゅーっと急降下。

　そして夕方６時ごろ、紀伊長島の駅前に到着した。それまで殆どが山だった。久しぶりのまちだ。

　紀伊長島というのは聞き覚えのある地名だったので、そこそこの町なのかと期待して夕方に到着するような感じに走ってみたんだけど、思った以上に何もないところだった。
　駅の観光案内で寝る場所でも探そうと思っていたのに、観光案内所が無かった。意味もなく書店を覗いた。ひどい品揃えだった。今までの人生で見た中で、もっともしょぼい書店。

　とりあえず、今夜の寝る場所を探すことにした。
　前日に廃車に初めて泊まって、その意外な良さに味をしめた俺は、そういう自動車を探した。
　駐車場に、上に看板を載せた自動車を見つけた。おそらく乗用ではないと思われた。なんとなくドアロックが開いているように見えた。確かめもせず、ここに寝よう、と決めた。
　しかしまだ明るく、人通りもあったので、暗くなるのを待つことにした。
　スーパーで買い物をした。長島ショッピーという店だった。体は汗でとてもベタベタして且つ自分で判るくらい臭かったので銭湯などを探すがそれも見つからない。

　存分に暗くなったのでその駐車場に向かい、自転車を停め、ドアに向かう。

　開かない。

　開いてると思ってたのに閉まっていた。単純な見間違いにしても、体はすでに休む気になっている。
　かといってどうしようもない。疲れた体にムチ打って、つぎの寝る場所を探そうとスタート。やっぱ、宿泊場所って第三希望ぐらいまで、作っとかなきゃだな。

　港で探したりする。無論ない。

　国道沿いのバス待合所に陣取ってみる。車が多く通り、照明のせいで明るい。つまり人目につく。
　どうしようと思いながらしばらくベンチで途方にくれる。

　とりあえず、寝るところを探しながら、前進しようと決めた。前に進む分には問題ない。見つからなきゃ見つからないで。

　ずいぶんな山道。他に道がないせいか、自動車がちらほら通る。
　街灯はないが、月明かりが行く先を照らしてくれ、たいへん助かった。だけど押す俺は押す俺のまま。

　紀伊長島から２０キロ進んだ海山（みやま）町。尾鷲（おわせ）市まで数キロ。店の駐車場のようなところ。道路地図によれば、たぶんコーヒー来路。
　そこの駐車場、というか草っぱら。レジャーシートにくるまって横たわる。スーパーで買ったサラミをかじる。

　地面がゴツゴツして体が痛い。足が何度も攣りそうになる。犬の遠吠えを聞いて、食べかけのサラミの匂いに集まってきたらどうしようと恐れる。でも寝た。

出費
　パン二つ（１５０）　サラミ（３０９）
　ブラックコーラ・コーヒー・ボトルコーヒー・ゴールドコーラ・
スポエネ×２・グレープフルーツスカッシュ・
ポッカオレンジ１００（１２２５。計５、５リットルほど）　
ビーノわさびしょうゆ・エビフライスナック（２２１）　
チェリーピンク（６５０）

　それにしてもすごい食生活だ。スナックしか食っていない。ほんと、食欲がまるでなかったんだ。

　ここまでおよそ１６０キロ。

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